我が子の進路を親が決定するということ
Category : ハハのキモチ ~’14
就学前の、子どもの進路に関する記事をよく目にする時期になりました。
ずいぶん前のことのような気がしてしまうけど、ちょうど一年前、
自分も、
「ボンズの一生を左右する決断を迫られている!!」
と思っていました。
すっかり忘れていました。
え? そんな重大な局面あったっけ?
そんな感じです、今では。
だから、思い悩み奔走する姿を垣間見ると、
つい他人事じゃない気持ちで落ち着かなくなります。
あの頃、地元小学校の支援級と養護学校を見学して、
かなりストレートな言葉で質問をくり返していた時期、
ここで間違った決断なんてしたら、一生とりかえしのつかないことになってしまう!
と、思ってました。
(カテゴリー「就学に向けて」にあります)
実際、そんなことはないんですけどね。
ただ今は、地元小学校の支援学級に通えて、良かった。嬉しい。良かった。嬉しい・・・
そんな気持ちしか湧いてきません。
別の道を選んでいたら、それはそれで「良かった、うれしい」ことが見つかったと思います。
でも、
朝から癇癪起こしていたくせに、学校の敷地内にスキップして入り、
晴れ渡った秋空を見上げながら嬉しそうに玄関に入るボンズを見ていたら、
しあわせだな~~~と、心底ありがたく思います。
きっと、どんな選択をしても大丈夫。
それで人生決まっちゃうことなんてない。
ボンズみたいに重度の知的障害があり、
重度の自閉症、表出言語も少なく、意思の疎通が難しい、
そんな子、ここに入れちゃっていいの??
って、何度も思いました。
入学してからも、
1学期過ごしてからも、
今でも、時々思います。
だって他には、
「え? キミはどうして支援学級なんだい?」
みたいな子ばかりですから。
・・・ボンズ基準にしているからなんですけどね。
コッコのクラス(通常級)にも、ボンズクラスすれすれ? みたいな子はいるし、
通常級も支援級も、本人のためを考えた親御さんの判断なんだろうと理解するしかない程度(という言い方もちょっと・・・ですけど)の子が、支援級に行くもんですよね。
だけど、ボンズは見るからに、あきらかに障害児。
本人に求められるもの、
本人がやろうとしてもできないこと、
その差に誰よりボンズが苦しむのかもしれない。
そんな心配もありました。
「ダメだったらすぐ転校しよう」
ずっとそう心に秘めて過ごしてきました。
だけど、熱心に関わってくれる先生たちを見ていたら、
卒業までここにいたい! という気持ちがわいてきました。
「ダメなら変更」は、本人に挫折感を与える危険もあるから、
最善策ではない。
そういう考えもありましたが、
そうじゃなくて、ここにいたい。
最近、独身時代からの友人が近所に引っ越してきて、
コッコ&ボンズとは違う小学校に子どもを通わせているのですが、
小学校の話をしていたら、同じ公立小学校でありながら、
「全然違うね!!」
という発見が続いて、びっくりしました。
きっと、養護学校(支援学校)か地元小学校かという選択は、
それほど重大な選択ではなかったのかもしれない。
同じ市の同じ公立小学校でありながら、
その学校のカラーって全然違う。
学校は入れ物であって、重要なのはその中身、ヒト、ですから、
見学をくり返し、現地を見るのってものすごく重要なんだな~と思いました。
見学を何回したって、
実際に我が子が入学して通うことになったら、
さらに発見や問題点も見えてくるでしょう。
でも、見ないと全然わからないんです。何も感じないんです。
「行ってみないとわからない」
就学相談の時、教育委員会の方もおっしゃってました。
でも本当のところは、卒業するまでわからないのかもしれません。
いや、卒業してもわからないかも。
だって、選ばなかった選択肢を選んだ場合の結論って、経験してないからわかりませんものね。
じゃあどうしろと?
今まさにわが子の就学相談に頭を悩ませていらっしゃる方には怒られてしまうかもしれません。が、これだけは言えます。
どちらを選んだとしても、大事なのはその先のことだ、と。
私は今でも、
「ガラス細工の雑貨屋に暴れ馬を放してしまってスイマセン」的な気持ちがあります(笑)
ボンズ以外の子は、言葉での「やりとり」ができます。
文字も読めるし、書けます。
おそらく、みんなトイレでうんちもできます。
「幼稚園、保育園じゃないんだから」
そんなことまで面倒見れませんと言われても、ハイスイマセンというしかない状況だと、今でも思ってます。
そんなボンズに、小学校一年生としての生活を堪能させてくれている先生たちには、感謝してもし尽せないほど感謝しています。
この気持ち、絶対忘れちゃいけないと思ってます。
今後も、進路で迷うことはあると思います。
今年やってきた校長先生は、以前からの○○小学校の校風を守ってくれていますが、
今後先生たちの異動で大きくカラーが変わることがあるかもしれません。
クラス編成が大きく変わって、今よりクラスメイトが増えるかもしれません。
その時になって、「このままここの小学校にいては、ボンズがしんどいかもしれない」「今までのようにのびのびできないかもしれない」と思ったら、その時は舵を取り直すかもしれません。
ようするに、その時はその時です。
これまでは、たまたまうまく行きました。
保育園時代のN先生や、転園先のH先生が、ボンズに個別にくっついて、
集団生活のイロハを教えてくれたおかげで、今は「みんながそろうまで」とか「みんなと一緒に」を理解して、小学校生活を送れています。
無駄な決断や、経験は何一つなかった。全てがつながっていると実感しています。
普通に、流されているだけで手に入れられる情報や選択を、
その都度知恵熱が出そうなくらい精査して、検討して・・・
そんなくり返しの中で、
正直いやンなっちゃうこともあると思いますが、
最後には行きつくとこにたどり着けるんじゃないかと思います。
自分が動けば、流れが変わります。
そしてゆくゆくはご縁があるところに結びつく、
そんな抽象的な言い方になってしまいますが、
今はそんな風に実感しています。
悩んで、迷って、途方にくれること。
ありますよね。
うちも、今後もあると思います。
その都度、知恵熱出るほどに悩んだとしても、
最後は「なるようになる」と強く信じていてくださいね。
きっと、どんな選択をしても大丈夫。
それで人生決まっちゃうことなんてない。
自分が動けば、運命が動き出す。
そして、強い信念で正しい道と出会える! ・・・はず(最後にちょっと弱気)
今、進路で迷っている方が、
ホッとして、すっきり♪ な春を迎えられますように。
ずいぶん前のことのような気がしてしまうけど、ちょうど一年前、
自分も、
「ボンズの一生を左右する決断を迫られている!!」
と思っていました。
すっかり忘れていました。
え? そんな重大な局面あったっけ?
そんな感じです、今では。
だから、思い悩み奔走する姿を垣間見ると、
つい他人事じゃない気持ちで落ち着かなくなります。
あの頃、地元小学校の支援級と養護学校を見学して、
かなりストレートな言葉で質問をくり返していた時期、
ここで間違った決断なんてしたら、一生とりかえしのつかないことになってしまう!
と、思ってました。
(カテゴリー「就学に向けて」にあります)
実際、そんなことはないんですけどね。
ただ今は、地元小学校の支援学級に通えて、良かった。嬉しい。良かった。嬉しい・・・
そんな気持ちしか湧いてきません。
別の道を選んでいたら、それはそれで「良かった、うれしい」ことが見つかったと思います。
でも、
朝から癇癪起こしていたくせに、学校の敷地内にスキップして入り、
晴れ渡った秋空を見上げながら嬉しそうに玄関に入るボンズを見ていたら、
しあわせだな~~~と、心底ありがたく思います。
きっと、どんな選択をしても大丈夫。
それで人生決まっちゃうことなんてない。
ボンズみたいに重度の知的障害があり、
重度の自閉症、表出言語も少なく、意思の疎通が難しい、
そんな子、ここに入れちゃっていいの??
って、何度も思いました。
入学してからも、
1学期過ごしてからも、
今でも、時々思います。
だって他には、
「え? キミはどうして支援学級なんだい?」
みたいな子ばかりですから。
・・・ボンズ基準にしているからなんですけどね。
コッコのクラス(通常級)にも、ボンズクラスすれすれ? みたいな子はいるし、
通常級も支援級も、本人のためを考えた親御さんの判断なんだろうと理解するしかない程度(という言い方もちょっと・・・ですけど)の子が、支援級に行くもんですよね。
だけど、ボンズは見るからに、あきらかに障害児。
本人に求められるもの、
本人がやろうとしてもできないこと、
その差に誰よりボンズが苦しむのかもしれない。
そんな心配もありました。
「ダメだったらすぐ転校しよう」
ずっとそう心に秘めて過ごしてきました。
だけど、熱心に関わってくれる先生たちを見ていたら、
卒業までここにいたい! という気持ちがわいてきました。
「ダメなら変更」は、本人に挫折感を与える危険もあるから、
最善策ではない。
そういう考えもありましたが、
そうじゃなくて、ここにいたい。
最近、独身時代からの友人が近所に引っ越してきて、
コッコ&ボンズとは違う小学校に子どもを通わせているのですが、
小学校の話をしていたら、同じ公立小学校でありながら、
「全然違うね!!」
という発見が続いて、びっくりしました。
きっと、養護学校(支援学校)か地元小学校かという選択は、
それほど重大な選択ではなかったのかもしれない。
同じ市の同じ公立小学校でありながら、
その学校のカラーって全然違う。
学校は入れ物であって、重要なのはその中身、ヒト、ですから、
見学をくり返し、現地を見るのってものすごく重要なんだな~と思いました。
見学を何回したって、
実際に我が子が入学して通うことになったら、
さらに発見や問題点も見えてくるでしょう。
でも、見ないと全然わからないんです。何も感じないんです。
「行ってみないとわからない」
就学相談の時、教育委員会の方もおっしゃってました。
でも本当のところは、卒業するまでわからないのかもしれません。
いや、卒業してもわからないかも。
だって、選ばなかった選択肢を選んだ場合の結論って、経験してないからわかりませんものね。
じゃあどうしろと?
今まさにわが子の就学相談に頭を悩ませていらっしゃる方には怒られてしまうかもしれません。が、これだけは言えます。
どちらを選んだとしても、大事なのはその先のことだ、と。
私は今でも、
「ガラス細工の雑貨屋に暴れ馬を放してしまってスイマセン」的な気持ちがあります(笑)
ボンズ以外の子は、言葉での「やりとり」ができます。
文字も読めるし、書けます。
おそらく、みんなトイレでうんちもできます。
「幼稚園、保育園じゃないんだから」
そんなことまで面倒見れませんと言われても、ハイスイマセンというしかない状況だと、今でも思ってます。
そんなボンズに、小学校一年生としての生活を堪能させてくれている先生たちには、感謝してもし尽せないほど感謝しています。
この気持ち、絶対忘れちゃいけないと思ってます。
今後も、進路で迷うことはあると思います。
今年やってきた校長先生は、以前からの○○小学校の校風を守ってくれていますが、
今後先生たちの異動で大きくカラーが変わることがあるかもしれません。
クラス編成が大きく変わって、今よりクラスメイトが増えるかもしれません。
その時になって、「このままここの小学校にいては、ボンズがしんどいかもしれない」「今までのようにのびのびできないかもしれない」と思ったら、その時は舵を取り直すかもしれません。
ようするに、その時はその時です。
これまでは、たまたまうまく行きました。
保育園時代のN先生や、転園先のH先生が、ボンズに個別にくっついて、
集団生活のイロハを教えてくれたおかげで、今は「みんながそろうまで」とか「みんなと一緒に」を理解して、小学校生活を送れています。
無駄な決断や、経験は何一つなかった。全てがつながっていると実感しています。
普通に、流されているだけで手に入れられる情報や選択を、
その都度知恵熱が出そうなくらい精査して、検討して・・・
そんなくり返しの中で、
正直いやンなっちゃうこともあると思いますが、
最後には行きつくとこにたどり着けるんじゃないかと思います。
自分が動けば、流れが変わります。
そしてゆくゆくはご縁があるところに結びつく、
そんな抽象的な言い方になってしまいますが、
今はそんな風に実感しています。
悩んで、迷って、途方にくれること。
ありますよね。
うちも、今後もあると思います。
その都度、知恵熱出るほどに悩んだとしても、
最後は「なるようになる」と強く信じていてくださいね。
きっと、どんな選択をしても大丈夫。
それで人生決まっちゃうことなんてない。
自分が動けば、運命が動き出す。
そして、強い信念で正しい道と出会える! ・・・はず(最後にちょっと弱気)
今、進路で迷っている方が、
ホッとして、すっきり♪ な春を迎えられますように。
テーマ : 発達障害(自閉症、アスペルガー、LD、ADHD、発達遅滞)
ジャンル : 育児